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Cef Izzeldin Bukhari, founder of Sacred Cuisine, speaking to an audience at an event.

VOICE 183
Chef Izzeldin Bukhari, founder
of Sacred Cuisine

Photography - HIRO  Interview - MINA

Portrait of Cef Izzeldin Bukhari, founder of Sacred Cuisine, wearing a hat and glasses with his arms crossed at an event.

「Sacred Cuisineは、パレスチナの食文化と、そこにまつわるストーリーを世界に伝えたいという思いから始めました。パレスチナの料理に刻まれた歴史、そしてパレスチナそのものの歴史を知り、探求してもらうための入り口です」

食とは何か。VOICEでは毎年、食に関わるローカルの人々との対話を重ねてきました。今回は今回は少し視点を広げて、エルサレム出身のパレスチナ人シェフ、Izzeldin Bukhariさんが主宰するSacred Cuisineを取材しました。

 

2017年に始まったSacred Cuisineは、コミュニティディナーやワークショップを通して、パレスチナに古くから受け継がれてきた「Somi(ソーミ)」の食文化を伝えるプロジェクトです。Somiは、アラビア語で「断食」を意味するsowmに由来し、キリスト教の四旬節(レント)の期間に食べられてきた植物由来の伝統料理です。

 

今年6月から9月まで、約3カ月半にわたってカナダツアーを開催中のSacred Cuisine。VOICEはその序盤、ノースショアで開かれたロングテーブルディナーに参加しました。レンズ豆とナス、ザクロを合わせた「Rummaniyeh」、ガザ地方のサラダ「Daghha」、スパイスライスの「Kudra」、そしてローズウォーターとピスタチオが香るデザート「Layali lebnan」。どの料理も派手さはありませんが、一口ごとに素材の背景や土地の記憶が静かに浮かび上がってくるようでした。

 

ディナーの後には、Izzeldinさんが料理の背景やパレスチナの食文化について語る時間が設けられました。「ファラフェルはもともとエジプトで生まれ、ひよこ豆ではなくそら豆で作られていたこと」。そして、「なぜ料理のルーツが書き換えられ、食の歴史が失われていくのか」。そんな話に耳を傾けるうち、普段何気なく口にしている料理が、社会や政治と深く結びついていることに気づかされます。3時間はあっという間に過ぎていました。

複雑な社会情勢の中で育ったIzzeldinさんにとって、料理は単なるレシピではなく、自らの存在そのものを語るものです。土地を失い、難民や迫害の歴史を経験してきた人々にとって、受け継がれてきた食文化は、自分たちのルーツや記憶をつなぐ、大切なアイデンティティなのだと感じました。

 

Sacred Cuisineが特別なのは、おいしいパレスチナ料理を味わうだけのイベントではないことです。そこには、何百年にもわたる家族の歴史と、失われつつある文化を未来へ手渡そうとする揺るぎない意志があります。Izzeldinさんは料理を通して政治的な主張を押し付けるのではなく、「知ること」と「味わうこと」を通して対話を生み出します。その誠実な姿勢こそが、Sacred Cuisineの魅力なのかもしれません。

 

食とは何か。その問いに、ひとつの答えはありません。しかし、Sacred Cuisineは、食とは「誰かの物語を受け取ること」なのだと教えてくれました。料理を味わうことは、その土地を知り、人を知り、歴史を知ること。Izzeldinさんが届けているのは、パレスチナ料理を通じた平和的な対話なのだと思います。

VOICE: ご自身のご家族のルーツについて、少し教えていただけますか?

 

Izzeldinさん(I): 私はスーフィーの家系に生まれました。1616年、先祖がウズベキスタンのある都市を離れ、エルサレムに移り住み、スーフィーの拠点を築きました。それ以来、私たちは約400年にわたってエルサレムで暮らしています。先祖はスーフィーの教えを伝えるためにやって来て、その伝統は何世代にもわたって受け継がれてきました。

この100年ほどの間に、私たちは所有していた土地や財産のほとんどを失いました。現在、その拠点はもう機能していませんが、家族に伝わる品々やアンティークを保存する小さな博物館を維持しています。私自身も今、エルサレム旧市街に暮らしています。

母方の家族は、1948年にラムラからガザへ逃れ、母とその兄弟たちはそこで生まれ育ちました。母は結婚後、エルサレムへ移りました。私はガザで育ったわけではありませんが、1985年から2000年まで、毎年夏になると母方の家族を訪ねてガザへ行っていました。その間、移動への制限が少しずつ厳しくなっていくのを目の当たりにしました。最初はタクシーで直接ガザまで行けたのが、検問所で車を乗り換えなければならなくなり、そして最終的には、ガザへのアクセスそのものが完全に閉ざされていきました。現在は、ガザに住む親戚に会えない状態が続いています。

 

V:Sacred Cuisineは、どのようにして始まったのでしょうか?

 

I:23歳のとき、エルサレム旧市街を離れてアメリカへ渡り、そこで7年間暮らしました。私が料理の道に入ったきっかけは、フムスとファラフェルが無性に恋しくなったことでした。食べられるお店を探したのですが、どうも満足できなくて、結局、自分で作るようになったんです。初めて料理をしたときから、料理には瞑想のような、心を深く落ち着かせる力があると感じました。

そしてすぐに、多くの人が本当のフムスを食べたことがなく、さらに、その歴史やルーツを知らないことにも気づきました。そこから、食のアプロプリエーション(文化的な流用)や資本主義によって、食が本来持っている意味や栄養、文化的な背景までもが失われてしまうことについて考えるようになりました。

約10年前、パレスチナに戻り、Sacred Cuisineを始めました。そこで注目したのが、キリスト教の四旬節(レント)の時期に食べられてきた伝統料理「Somi」です。Somiの伝統をたどっていくと、ファラフェルから日々の家庭料理まで、パレスチナの食卓に並ぶさまざまな料理につながっていることがわかりました。

私はベジタリアンでもヴィーガンでもありません。でも、Somiという食文化が持つ意味を伝えるために、植物を中心とした料理に焦点を当てることにしました。

 

V:食にまつわる思い出で、特に印象に残っているものはありますか?

 

I: たくさんありますね。その中でも、子どもの頃の思い出がひとつ心に残っています。

子どもの頃、友達とよく一緒に過ごしていた時間の中で、朝食や夕食にみんなでよく食べていたお気に入りの料理のひとつが、ラブネでした。ラブネは、ヨーグルトの水分を切って、濃厚でクリーミー、そして少し酸味のある味わいにしたものです。上からオリーブオイルをかけて、パンと一緒に食べるのですが、私たちはこれが大好きでした。

ラブネという言葉は、実は「最高にいいもの」を表すときにも使うんです。何かがとても素晴らしいと、「これはラブネだね」と言ったり、好きな人のことを親しみを込めて「ラブネ」と呼んだりすることもあります。

 

V:あなたにとってのソウルフードは何ですか?

 

I: フムスですね。本当に大好きで、一日中いつ食べてもいいくらいです。

故郷では、フムスはディップとしてではなく、朝食に食べるものなんです。フムスのお店に行くと、オリーブオイルをかけたフムスに、ファラフェル、ピクルス、ホットソース、そしてピタパンが添えられた一皿が出てきます。それが、私たちの昔ながらの食べ方です。そして、街の誰もが「お気に入りのフムス店」を持っているんですよ。

 

V:料理は、あなた自身にどのような変化をもたらしましたか?

 

I: 料理を通して、人生と向き合い、違った考え方を持つことを学びました。料理を始める前の私は、いつも落ち着かず、常に何か刺激を求めていたんです。でも、料理をするようになってから、今この瞬間に意識を向けること、そして忍耐強くあることを学びました。料理は私にとって、リラックスして外の世界から少し離れるための方法になり、まるで瞑想のような時間でもあります。

食材に向き合うとき、私はその質感を感じながら、さまざまな特徴を観察するようになります。そうしているうちに、料理を通して身についたものの見方が、人生そのものを見る目にもつながっていきました。物事をより深く、丁寧に考えるようになり、この世界に存在するさまざまな二面性についても考えるようになったんです。

たとえば、トマトは中は柔らかいのに、皮は固くしっかりしています。私は、そうした細かな違いや、物事が持つ二面性を五感で感じ取ることを大切にしています。料理を通して、今もたくさんのことを学び続けています。

 

V:フードツアーで提供する料理は、どのように選んでいるのですか?

I: メニューは、会場ごとの準備や調理にかかる時間など、実際の運営面も考慮して決めています。でも、それだけではなく、自分自身の思い出や意味が込められた料理を選ぶようにしています。

中でも「Rummaniyeh(ルマニーヤ)」は、パレスチナの中でもあまり知られていない料理ですが、パレスチナの人々が困難の中でも守り、受け継いできたものと、食文化の伝統をよく表している料理だと思います。歴史的なパレスチナの沿岸地域、たとえばヤッファ、ラムラ、ロッドなどに伝わる料理です。1948年の追放によって、多くの難民がこのレシピをガザ市へ持ち込み、今も家庭料理として親しまれています。現代ではガザ料理として紹介されることが多いですが、そのルーツはそのルーツはパレスチナ各地にあります。

私自身、子どもの頃にガザの祖母の食卓でこの料理を食べたことを覚えています。今でも、料理するのが大好きな一品です。

「Rummaniyeh」という名前は、ザクロを意味するアラビア語の「rumman」に由来しています。レンズ豆、ナス、フレッシュディル、そしてザクロの酸味が組み合わさることで、この料理ならではの味わいが生まれます。また、パレスチナ料理では、ナスを茹でて使うのは少し珍しく、一般的には焼いたり揚げたりすることが多いんです。

私にとってこの料理には、故郷を追われても受け継がれてきた人々の記憶と、土地やそこから生まれる食材との、途切れることのないつながりが込められています。

 

V:故郷の食文化について、どのように感じていますか?

 

I: 食文化は、私の故郷に限らず、どこでも変わりつつあると思います。季節のものを食べるという習慣も少しずつ失われていますし、経済の仕組みや政治的な状況も、その変化に影響しています。

私がエルサレム旧市街で育った頃は、ダマスカス門に行くと、農家の人たちが自分たちで育てた野菜や果物を直接売っているのを見ることができました。でも今では、自治体による規制が強まり、そこに農家が立つことはほとんどなくなりました。

パレスチナでは、こうした変化によって、昔ながらの食材にアクセスすることが難しくなっています。かつては農家が季節の食材を直接届けてくれていましたが、そうした人たちがいなくなるにつれて、大規模な供給業者に頼らざるを得なくなりました。その結果、季節に合わせて食べることも、昔からの食習慣を守ることも、次第に難しくなっています。

また、状況は地域によっても異なります。ヨルダン川西岸地区では、今も地元の農家が比較的多く、季節の食材に触れる機会が残っています。一方、ガザでは、食料そのものへのアクセスが極めて限られています。

 

V:今回がカナダで初めてのフードツアーですが、なぜカナダだったのでしょうか?

 

I: はい。今回、約3カ月半カナダに滞在していて、まずは西海岸を中心にツアーを行い、その後オンタリオ州とケベック州へ移動して、ツアーの最後を締めくくる予定です。

私は、いろいろな国を旅しながら、パレスチナの料理をその土地に届けることを目指しています。そういう意味では、訪れる場所すべてが目的地なんです。

世界各地に、仕事を通じてつながった仲間や友人がいます。今回、BC州での西海岸ツアーを企画してくれているのが、カナダ人の友人、Kat Harrisさんです。彼女は以前パレスチナを訪れたことがあり、サンシャインコーストのコミュニティで私の活動について紹介してくれました。それが大きな関心につながり、そこから少しずつ話が広がっていったんです。

 

V:カナダ西海岸では、Sacred Cuisineはどのように受け入れられていますか?

 

I: 本当に、とても、とても温かく受け入れてもらっています。正直、ここまでとは思っていませんでした。皆さんが料理を楽しみ、心を動かされ、そして食を通してパレスチナの文化や暮らしについて、より深く知ってくださる。その姿を見られることが、本当に素晴らしい経験になっています。

 

V:BCツアーを通して、特に心に残っている出来事や出会いはありましたか?

 

I: 正直、本当にたくさんの素晴らしいイベントがあり、さまざまな状況の中で、たくさんの素敵な人たちとの出会いがありました。それぞれに心を動かされましたし、どれもかけがえのない経験だったので、ひとつだけ選ぶのは難しいですね。でも、あえて挙げるとすれば、ネルソンでのイベントでしょうか。約280人が参加して、これまでで一番大きなイベントになりました。たくさんの人が集まり、多くの方が運営を手伝ってくださったという意味でも、とても特別なイベントでした。

 

V:次にSacred Cuisineを通して、どの国に行きたいですか?

 

I: ペルーです。文化や食の歴史にとても興味がありますし、特にアジア料理とペルー料理が融合した独特の食文化に惹かれています。次の訪問先ではありませんが、いつかぜひ行ってみたい国のひとつです。次に向かうのは、モロッコとアイルランドです。

 

V:あなたにとって、食とは何ですか?

 

I: 食は、その土地とつながり、理解するためのひとつの手段だと思います。どこへ行っても、街を歩くときは、食べられるハーブや、料理に使える植物がないか探すんです。知っているハーブが増えるほど、その土地とのつながりが深まり、周りの環境にもより意識が向くようになります。

昨日も「ウスベニタチアオイ」という植物を見つけました。これは英語でmarshmallowと呼ばれる植物です。故郷では、ほうれん草のように食べる葉野菜です。マシュマロのお菓子が、もともとは薬として使われていたことを知っていますか? 根から採れる成分には喉を和らげる作用があって、昔はそれを煮出して卵白と砂糖を混ぜ、喉の痛みを訴える子どもたちに与えていたんです。それが今では、マシュマロのお菓子に、ウスベニタチアオイの根はまったく使われていません。こうした話は、エルサレム旧市街のフードツアーでもよく紹介しています。食べ物や食材が、時代とともにどのように変わってきたのかを見るのは、とても興味深いことなんです。

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Sacred Cuisine

Sacred Cuisine has been cooking, storytelling, and organizing around Palestinian food since 2015. Our mission is to share the ancestral wisdom embedded in Palestinian culinary traditions, emphasizing our historic connections between food, land, and identity. We believe in the power of food to foster community, understanding, and healing, drawing inspiration from Sufi principles where sharing meals is an act of profound love and worship – thus, Sacred Cuisine. Through our experiences, we aim to highlight the resilience and cultural richness of Palestine.

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