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Nikkei Ramen-ya

Greg Masuda, founder

Credits


Photography - HIRO 
Interview -MINA

「日経ラーメン屋とは、食べることを楽しみながら、卓越性を追求することです。私は、コモックス・バレーにユニークでワールドクラスのものを持ち込み、より良いものにするために継続的に努力したいと思います」

ラーメンは日本のソウルフードです。日本では全国各地にラーメン屋があり、地域によってさまざまなバリエーションがあります。またラーメンは単なる料理ではなく、生き様を表現するものに進化しています。特にラーメン職人にとって、スープや麺、トッピングを自己流に完成させることは自己表現の手段でもあります。結果、ラーメンは今日のような職人技を駆使したグルメ料理へと進化を遂げました。

 

2016年、バンクーバー島のコートニー中心地にオープンした「日経ラーメン屋」には、ラーメンに対する同じような姿勢が垣間見れます。オーナーのグレッグさんは、アルバータ州出身の日系カナダ人3世です。アルバータ大学で機械工学を選考し、ハイテク産業で10年以上エンジニアとして働いていました。その後、会計士としてもキャリアを積み、ドキュメンタリー映画監督としても活躍していました。2015年に家族でコモックス・バレーに引っ越すまで、ラーメンの世界に足を踏み入れるとは夢にも思っていなかったそうです。実際、彼は大人になるまでラーメンを食べたことがありませんでした。「バンクーバーで初めてラーメンを食べて以来、好きな麺類はラーメンです。コモックス・バレーに移住後は、バンクーバーで食べられるものが本当に恋しくなりました。ここにはラーメンもなければ、本格的なアジア料理もありませんでしたから。」

日系人の友人から、ラーメン屋をやってみてはどうかと勧められた当時は、とてもバカげた考えだと思いましたが、この場所で何か楽しくてクリエイティブなことをしたいと思っていた彼の頭の中で、その言葉が再度芽生え始めたのです。

ラーメンの作り方は、「日本のラーメン屋の店主の多くがそうであるように、ほとんど独学で学びました。この業界は、専門的な知識や経験がない人も多くいます。日本ではサラリーマンが脱サラし、ラーメン職人になる話をよく聞きますが、僕も同じ道を歩んでいます。」

 

目標は、バンクーバー、ロス、東京で食べたのと同じくらい美味しいラーメンを作ること。そして麺を一から作ることです。その理念のもと日経ラーメン屋はコモックス・バレーでスタートし、近隣の住人の胃袋を満足させてきました。美味しいラーメンを提供するだけでなく、ラーメンはグレッグ自身の自己発見と自分のルーツの旅に重要な役割を果たしているようです。

また日系ラーメン屋は「生活給認定事業者」でもあります。従業員の生活水準を保護するべく、一般的なチップではなく少額のサービス料金を顧客に加算することで基本給の水準を上げているのです。このような人の役に立つようなアイデアを日々考え、情熱を注いでいます。

 

ラーメンが好きな人にも、ラーメンに興味がある人にも、日経ラーメン屋は地元の味を生かした本格的な日本のラーメンを提供し、あなたを満足させてくれます。店内やパティオ席に座って、じっくりとラーメンを味わってみてください。一杯のラーメンに込められた思い、愛、そして魂を感じられる事でしょう。

VOICE(V): グレッグさんとラーメンの初体験談を聞かせてください。

Greg(G):「アルバータ州で育った私は、バンクーバーに来るまではラーメンを知りませんでした。初めて食べたのは、バンクーバーのデンマンストリートにある金太郎ラーメンでした。正直、金太郎ラーメンはあまり好みの味ではありませんでしたが、その後、元町食堂や丸玉ラーメンなど、いろいろなお店のラーメンを食べるようになりました。特に丸玉ラーメンの麺は大好きで、彼らの作る麺が私をラーメンの虜にさせました」

 

V: グレッグさんは日系カナダ人ですが、幼少期にラーメンを食べる機会がなかったのは意外ですね?!

 

G:「父は日系カナダ人2世で1941年バンクーバー島で生まれました。第二次世界大戦中、家族が一緒にいられるようにとアルバータ州に移り住み甜菜畑で働き始めました。当時の日系カナダ人の強制収容は、日系カナダ人を意図的にカナダ全土に分散させ、日本の文化や言語を”薄める”ことを目的としていました。その結果、日系カナダ人の国際結婚率は90%を超えました。私は日系カナダ人3世で、白人女性と結婚しています。私の母も白人です。アルバータで育った私は、中国系のご近所と私のいとこ以外、他のアジア人の子供を知りませんでした。もちろんバンクーバーに来るまではラーメンも食べたことがありませんでしたし、こんなにたくさんの日本人がカナダにいる事も知りませんでした。バンクーバーの日系コミュニティと関わるうちに日本のアートや様々なことを知り、ドキュメンタリー映画制作を通じて、自分自身についても多くを学びました。私は長い事自分を白人と認識していましたが、この頃から日系カナダ人として自認するようにもなりました」

V: なぜラーメンに惹かれたのでしょうか?

G:「特に麺に惹かれました。どんな麺でもいいというわけではありません。インスタントから冷凍の一般的なもの、そして最高級の自家製麺まで、どのラーメンの麺も独特の弾力と歯ごたえがあります。その中でも、ずば抜けているのが生麺です。味、食感、香りが優れているだけでなく、極細でキレのあるものから、太くてコシのあるものまで、さまざまなバリエーションがあります。それぞれの麺の特徴を生かすには、適切なスープとのマリアージュが必要ですよね」

V: 日本にラーメンツアーに行かれたことはありますか?

 

G:「日本には2回行ったことがあります。一回目は日系ラーメン屋を始める前で、東京でラーメンを食べました。2回目は10日間の滞在で12杯以上のラーメンを食べましたよ!家族は広島で新幹線を降り、私はそのまま1時間かけて博多まで行きラーメンを2杯食べ、また電車に乗り、家族との夕食に間に合うように広島に戻りました。博多で博多ラーメンを食べたかったんです!」

V: ラーメンは様々な種類がありますが、新しい味を作るとき、どこからインスピレーションを受けますか?

G:「ラーメン作りで大事なことは創造性だと思います。私たちは今まで30種類以上の味を作り出してきました。メニューの定番は塩、醤油、味噌、野菜、味噌野菜、海老、豚骨醤油などですが、鶏白湯、激辛からあげ味噌パイタン(辛味噌スープに鳥の唐揚げが入っているラーメン)など、ユニークなメニューもあります。

新しいメニューを考えるのはいつも楽しいですね。オンラインや本や写真から、アイディアが沸きワクワクするようなレシピを考えています」

V: 日系ラーメン屋と他のラーメン店との違いは何ですか?

 

G:「私たちは麺 を含め、すべて一から作っています。私はスープよりも麺に重点を置くので、お店を開くにあたって自家製麺を作れることは非常に重要でした。バンクーバー島で麺を一から作っているラーメン屋は他にありません。

食材もできる限り地元で調達しています。麺はカナダ産の高級小麦を使用し、貝類、アサリ、牡蠣、カニなどシーフードはすべてセイリッシュ海のものを使用しています。豚肉は地元コートニー近郊の農場からエシカルに育てられたものを使用しています」

V: 2016年お店をオープンした当初、コモックス・バレーのコミュニティはどのような反応でしたか?

 

G:「このコミュニティにラーメン屋が出来たことをみんな喜んでくれました。そして、普通のラーメンではなく、一から作る本格派のラーメンであることにすぐ気づいてくれました。地元の人たちはとても協力的で、町を訪れにきた来客を連れてきてくれます。私たちのお客さんの3分の2はリピーターです。私の娘も含め、6年間日系ラーメン屋のラーメンを食べ続けてくれている子もいます。ここで働きたいと14歳になるまで2年間待って、私たちのチームに加わったスタッフもいるんですよ」

V: Covid-19パンデミックの渦中、どのようにビジネスを舵取りされましたか?

 

G:「パンデミック当初、私たちは生産用厨房スペースを作っている最中でした。またバンクーバー島北部を中心にあと4店舗お店をオープンする計画もありましたが、その計画はパンデミックで中止にせざる得ませんでした。大変な時期でしたが、常に先行きを見据えながら運営を心がけているので、何とかお店を閉じることなく営業を続けることができました。現在のパティオも、パンデミックの最中に増築したものです。インドアダイニングが認められていなかった頃、パティオの許可をとるために市を相手に交渉したのも我々です。私たち以外のビジネスで、この新しいパティオルールを活用したお店はありませんでしたけどね」

V: また、現在の世界情勢があなたのビジネスに与える影響はありますか?

G:「労働者不足は予想外でした。レストランの労働環境はストレスフルなこともありますし、多くの人がこの業界を離れて、他の仕事に就くようになっていきました。最近は、約束した面接にすら来ない人もいます。またインフレも食のコストに影響を及ぼしています。昨年は2回値上げしなければなりませんでした」

V: コートニーでの暮らしはいかがですか?

G:「都会は恋しいですが、自然は好きです。自然に囲まれているここの環境はとても素晴らしく、それが一番です」

V: あなたにとって、ラーメンとは何ですか?

G:「今ではラーメン=自分の子供たちを思い浮かべます。ここに引っ越してきた時、2人目の子供が生まれたばかりでした。娘にとっても、ラーメンはアイデンティティの一部となっていると思います。ラーメンは彼女の大好物であるだけでなく、アジア人としてのアイデンティティの育成を促す一部になっていると思います。ちなみに、プロダクションキッチンの名前は、私の3人の子供たちの名前、Elliot、MIyo、KOuraにちなんで”EMIKO”と名づけました。Kouraは、私の日本人の祖母の名前でもあります」

Nikkei Ramen-ya

Greg Masuda, founder

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